やりたい事をやろう!
基本的には先にお話したような感じですが、バンドをやっていましたね!
小中学校の時は親が教育熱心で進学のために勉強をたくさんやっていました。
でも途中で「やりたい事やろう」と思い立ち、高校からはやりたいことばかりやっていました。
いやー、今思うと覚悟が必要なことだったですね(笑)
進学校だった中学では、学校行事のテーマソングを生徒が作曲して演奏しているという姿に衝撃を受け、自分もそんなことがやれたらかっこいいなぁと思ったのが最初です。
家はピアノ教室だったのですが、ピアノには挫折し(笑)、でも楽譜は書けないけど曲を作りたかったので、必死で自分のできる拙い技術だけでデモテープをつくり、そこからはいろいろな技術のある人にテープを聴かせてプレゼンをして、バンドに入ってもらい完成度の高い曲になるように一緒にものづくりに参加してもらいました。
おかげで自分にはできないことでも、いろいろな役割の人と組むことでものづくりにつなげる能力がつきましたよ。
バンドばかりをずっとやっていたため学業についていけなくなり、親に「あんたは絵が好きだから美術に進みなさい」という理由で美術大学を勧められました。
バンド活動から突然熱心に美術の予備校に通う生活に一転しました(笑)。
生き物が大好きだったこども時代
大学に入る手前くらいからですね。大学に入ってからは家から歩いて3分でしたがアトリエ用に部屋を借りていました。
その後PRAHAの運営にも関わるようになり、ここで何かの企画を持ち込む人の相談を受けたりしながら、自分でもイベントの企画や広報などをしていました。
残念ながら建物に寿命がきて今は取り壊されて住宅になっています。
バンドをやってた大学時代
東京での取材の仕事が将来につながった
でも90年代の後半に、札幌で面白い人が集まるカフェを運営している友人が「SHIFT」という尖ったデザインを紹介するウェブマガジンを立ち上げることになり、東京担当のライターになるよう頼まれました。
最初は東京に誰も知り合いがいませんでしたが、取材先でたくさんのクリエイターに出会い、たくさんのネットワークが出来ました。
札幌にいるだけではなかなかネットワークが広がりませんし「このまま東京にいた方がいいんだな」と自然に残ることになりました。
いえ、当時の社長に「都市計画をするのに都市計画のことを何も知らないから東京で勉強して来いっ!」と言われたんです。
ちょうど早稲田大学に都市計画に関する専門学校が設立されたので、新人で東京赴任した直後から昼間は仕事、夜は専門学校っていう生活を送っていました。
鶴間公園のがっこう
このお仕事をしていて印象に残っていることはなん ですか?
直近では『鶴間公園のがっこう』というワークショップ運営ですね。東京都町田市の南町田駅の近くの商業施設を作り直す際、近くにある鶴間公園とくっつけようという計画が出ていたんです。
隣り合っているのですが、道路を挟んでいたので、商業施設と公園をくっつけることで新しい街をつくろう!ということになり、東急電鉄と町田市の共同プロジェクトが立ち上がりました。
住民からすれば「鶴間公園は地元の人しか知らない静かで広い公園」という印象がありましたので、当然、反対意見も出てきますよね。そこで私が地域の人たちの話をお伺いすることになりました。
はい、みなさんの声をしっかりお聞きしたら、それにははっきりとした理由がある、ということが見えてきました。
そしてそれらをつなげていけば、公園を新しくする計画にみんなで参加できるんじゃないか、と思えてきたんです。
1年目は街の人たちと一緒に公園のデザインを考えるワークショップが進められ、2年目には、地域のみなさんから寄せられた話を受けて、みんながどうまちに関わる場づくりをすれば良いのかを考えました。
この段階で、私もワークショップの企画からお手伝いすることになりました。そこで、公園の使い方などの企画をみんなで進め、それを実験的にイベントとして実施するという企画にしました。
参加者からは公園でやってみたいいろいろなアイデアが出ましたよ。
竹を使った楽器づくりとか、ピザづくりとか、森の中での読み聞かせとか、伐採した木を使ってベンチをつくろうとか、寄せられたたくさんのアイデアはみんなで「公園のがっこう祭」で実験的にやってみました。
家族でも参加できる公園にふさわしい企画ばかりで すね!
参加者のみなさんと苦労したぶん、いい結果が出たのかな、思っています。
ここで動画を見せていただきました!なんとも楽しそうでした!
子供たちも普段触れないものにたくさん触れていました!いいな~!
南町田拠点創出まちづくりプロジェクト http://minami-machida.town